海や森林への帰還
「散骨」とは亡くなった人の遺骨を、海や森といった自然に還すことです。
最期は自然に還りたいという生前からの本人の意思、もしくは遺族の考えなどにより、散骨を選択する方々が増えてきています。
また遺骨の全てを同じ場所に撒くのではなく、分骨といって遺骨を分けて別々の場所に撒く人もいます。
その場所はさまざまです。
「半分はフィリピンの海、もう半分はフィンランドの森」「一部はお墓、残りはハワイと江ノ島の海」などのように自由に選択できます。
散骨は近年注目されている自然葬のひとつですが、実は以前から選ばれていた葬送方法なのです。
皆さまも知っていらっしゃると思う、あの有名な方たちも散骨を選んでいました。
有名人の散骨事例
・アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)
相対性理論の発見で1921年にノーベル物理学賞を受賞した、物理学者のアインシュタインは「自分の骨は海にまいてくれ」と頼んだそうです。
アメリカの大西洋岸にある、デラウェア川に散骨されました。
・マリア・カラス(Maria Callas)
アメリカ(ニューヨーク)で生まれフランス(パリ)で亡くなり、20世紀最高のソプラノ歌手と言われたマリア・カラスは、生前からの希望により、1979年にギリシャのエーゲ海に散骨されました。
ドキュメンタリー映画「マリア・カラスの真実」では、散骨される様子の場面が出てきましたね。
・いずみたく
日本を代表する作曲家のいずみたくさんは、生前に愛した湘南江ノ島沖に散骨されました。誰でも一度は聴いたことがある曲「見上げてごらん夜の星を」をご家族が口ずさみながら、散骨されたといわれています。
・石原裕次郎
俳優で国民的大スターとして多くの人々に愛されていた石原裕次郎さんは、本人が好きで何度も足を運んでいたという湘南の海に散骨されました。
最初は許可されず諦めかけましたが、その後遺骨の一部を散骨することができたそうです。
・hide
1998年5月に亡くなった日本を代表するロックバンドX JAPAN(旧名X)のギタリストのhideさんは、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨され、遺骨の一部を亡くなる前に住んでいたアメリカのサンタモニカ沖に散骨されました。分骨ですね。その様子が報道されていたのは私も覚えています。
散骨された有名人のほんの一部の方をご紹介しましたが、共通することは自分が好きだったところや、思い出のある場所へ散骨される方が多いように思います。
自然に還る遺志
以前「ビートたけしさん」がテレビ番組で「お墓はどうするんですか?」と質問されていました。その際「おいらも地球上の分子の一つなんで、地球に帰る。何も残さない。散骨でいいよ。」と言っていたそうです。
また89歳で亡くなった元東京都知事の「石原慎太郎さん」は、遺言状に「葬式、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と書いたそうです。
その後、所縁があった神奈川県葉山町の沖にて海洋散骨が行われました。
そのような言葉を聞いて思い出したのが、夏目漱石の小説「倫敦塔」の一節です。
「墓碣と云い、紀念碑といい、賞牌と云い、綬賞と云いこれらが存在する限りは、空しき物質に、ありし世を偲ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを傷ましむる媒介物の残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う。未来の世まで反語を伝えて泡沫の身を嘲る人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだ後は墓碑も建ててもらうまい。肉は焼き骨は粉にして西風の強く吹く日大空に向って撒き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする。」
墓碣は墓石、賞牌は位牌、綬賞は戒名をつけることでしょう。
そしてかなり端折って要約をしてしまうと、
「墓石や位牌など、私の死を悼むものが私の生きた証だと考えるのは間違っていると思う。それは私の意志や言葉を間違って後世に伝えてしまう人がすることだ。だから私は遺言も残さず墓も立てず、自分の遺灰を散骨してもらうことを今から考えている。」
ということです。
※この場合の「私」は夏目漱石自身をモデルにしたとされる架空の登場人物を指します。
これは、人間は遅かれ早かれ必ず死ぬことを自覚しているからこそ「生きた証」を残そうとするのではないかという、皮肉の感慨を含んでいるのかと思います。
散骨~これからの可能性
散骨や自然葬が注目されてきていますが、日本ではまだまだ抵抗感を持っている人も多いというのも現状です。
しかし散骨は、昔から行われている葬送方法であり、有名人や著名人も自ら散骨を選び、家族もそれに尊重するケースが多いのです。
社会的な認知と同時に意識も変わり、近い将来は海や森に散骨することも、ごくありふれた葬送方法として選ばれてくるかもしれませんね。