終活の広がりと社会背景
近年、日本では「終活」という言葉がすっかり定着しています。
終活とは、人生の最期に備えて、身の回りの整理や葬儀の準備、相続の計画などをあらかじめ行っておくことです。
この言葉が登場したのは2009年頃ですが、特に高齢化が進む2020年代に入ってからは、ますます多くの人が関心を寄せるようになりました。
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エンディングノートの作成や、生前整理、さらに死後のデジタルデータ管理まで、終活の幅は年々広がっています。
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行政や金融機関、さらには大学などの教育機関までもが終活をテーマに講座やセミナーを開催していて、「老後に備えることが社会人としてのマナーである」と受け取れるような雰囲気が広がっています。
「きちんと終活をしておかないと、家族に迷惑がかかる」「自分の想いをきちんと残すことが大切」といったメッセージが繰り返される中で、終活を意識し始める高齢者も少しずつ増えています。
私自身も、これまでに多くの終活に関する記事を執筆してきました。終活の意義や必要性には深く共感していますし、実際に取り組むことが本人にとっても家族にとっても大切である場面を、数多く見てきました。もちろん、多くの人にとって終活は前向きな選択であり、それ自体が悪いわけではありません。ただ、誰もが同じ形で、同じタイミングで進めなければならないような「決まりごと」のような雰囲気に、居心地の悪さを感じる人もいるのではないでしょうか。
そんな中、「あえて終活をしない」という選択を示したのが、女優の泉ピン子さんです。77歳を迎えた彼女は、2025年に出版した著書【終活やーめた。元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法】の中で「終活やーめた」とはっきり宣言しました。
その言葉にはユーモアがありながらも、心に残る力強さがあり、多くの人の共感を呼びました。
泉ピン子さんが終活をやめた理由
泉さんが終活をやめようと考えたのには、それなりの理由がありました。
かつてテレビ番組で自宅のブランド品や宝石を公開したことがあったそうです。
それは「生前整理」の一環として紹介されたものでしたが、思わぬ反応があったといいます。番組を見た視聴者から、「その宝石を譲ってください」「どうせ死ぬなら私にください」といった手紙が多数届いたのです。
見ず知らずの他人から、あたかも当然のように「もらえるはずだ」と思われることに、泉さんは強い違和感を覚えました。彼女はそのとき、「自分の持ち物をどうするかは自分で決めたい」「死に備えることが、他人の期待に応える作業のように感じられてしまってはいけない」と感じたそうです。
また、終活をすること自体が「死を意識しすぎる」行為にも思えてきたとも語っています。「人間はいつか死ぬことがわかっているけれど、そればかり考えていたら生きる力がなくなってしまう」と泉さんは話しています。
「ピン活」という生き方~終活を超えて、自分らしく人生を楽しむ方法
終活を否定した泉さんは、その代わりに「ピン活」という言葉を使うようになりました。
これは「ピンチをチャンスに変える活動」という意味で、まだまだ元気に、そして前向きに人生を楽しみたいという気持ちを込めています。
77歳で「まだ死ぬつもりはない」とはっきり言い、自分の可能性をあきらめずに前を向いて生きようとする泉さんの姿勢には、見習いたくなるような力強さがあります。年齢にとらわれず、「こうしなきゃ」「これが普通」といった決めつけから抜け出して、自分らしく生き方を選んでいくことこそが、本当の意味での終活なのかもしれません。
彼女は現在も舞台やテレビに出演し、台本に目を通し、作品を選びながら仕事を続けています。日々の健康に配慮しつつ、将来よりも今日を大切にする生き方には、今の時代だからこそ共感できる前向きさがあると思います。

終活の形はひとつではない
泉ピン子さんの「終活やーめた」という発言は、一見すると過激に思えるかもしれません。ただ、その背景には、終活がいつの間にか形ばかりのものになっていたり、周囲に合わせることが目的になってしまっている今の空気への疑問があるように感じます。
終活を進めることが悪いわけではありません。実際、遺族にとってありがたいケースも多く、終活によって自分の気持ちが整理される人もいます。しかし、「やらなければいけないもの」として一律に進めるのではなく、自分が納得できるタイミングや方法で、自分なりの考えを大切にして選んでいくことのほうが、ずっと大事なのかもしれません。
「終活をしない」と決める泉さんの姿勢には、自分らしい生き方を選ぶ力強さがあります。その姿を見ていると、私たちも「どう生きたいか」を自然と考えさせられます。
今を前向きに生きること。それが、泉ピン子さんの選んだ「ピン活」であり、終活は人それぞれの生き方の中で自由に選べるものだと、改めて気づかされますね。