著名人のお墓
近年、時代に移り変わりとともに、お墓の在り方も変わってきました。
今までのように先祖代々のお墓に入ることが当たり前ではなくなり、死後お墓に入るかどうかを自由に選択できるようになりました。
またお墓という概念のない散骨を選ぶ人も増えてきています。
しかし、昔はお墓に入るのが一般的な時代でした。そして私たちと同じように、もちろん著名人や有名人にもお墓があります。
例えば、【赤とんぼ】【からたちの花】で有名な日本を代表する作曲家「山田耕筰」のお墓は、東京都あきる野市の西多摩霊園にあります。霊園の管理事務所の近くには、略歴が彫られた山田耕筰碑や「赤とんぼ」の楽譜と自筆歌詞が刻まれた歌碑があります。またお墓の墓石には直筆で「山田耕筰 ・眞梨子」と入っていて、その近くには「からたちの花」の楽譜と歌詞が刻まれた石灯籠もあります。
また日本だけではなく、世界にも著名人や有名人のお墓が多く残っています。
海外旅行をした際に、聖地巡礼として訪れる人もいるのではないでしょうか。
今回は世界の著名人として名を残した、「クラシック音楽界の偉大な芸術家」のお墓、埋葬や死に関するエピソードなどをご紹介します。
(クラシック音楽が好きという個人的な偏りです)
クラシック音楽界の主な芸術家のお墓や埋葬地
・バッハ(1750年7月28日65歳没)
ドイツの作曲家・オルガニストです。有名な曲として、弊社の海外散骨セレモニーで人気の音楽でもある【G線上のアリア】や【マタイ受難曲】があります。
バッハは、今はドイツのライプツィヒの「聖トーマス教会」に眠っていますが、最初に埋葬された場所は、長い間不明だったと言われています。
昔ライプツィヒには、「聖ヨハネ教会の扉の近く、南の壁から約5メートル離れたところ付近に、棺に入ったバッハの遺体が埋葬されている」という噂がありました。
そして、バッハの死後150年ほど経った頃、聖ヨハネ教会が改築を行うことになり、その噂の場所が工事で壊されることになったため、解剖学者を交えての発掘調査が行われることになりました。
その結果、聖ヨハネ教会の南の壁付近から、男性の遺骨が入ってた棺が見つかったのです。頭蓋骨を石膏で覆って顔を復元したところ、バッハの肖像画に似た姿が出てきました。専門家たちはこれを「バッハの遺骨」と断定し、改めて聖ヨハネ教会の床の下に葬ることにしたそうです。
しかしその後第二次大戦の空襲で、聖ヨハネ教会が倒壊したため、1949年に聖トーマス教会に改葬されました。翌年のバッハの200回忌では墓碑が置かれました。
お墓には「JOHANN SEBASTIAN BACH」と刻まれ、キリストの像と向かい合うように葬られています。
・モーツァルト(1791年12月5日35歳没)
オーストリア・ザルツブルクで生まれ、主にオーストリアを活動拠点としていた作曲家です。【オペラフィガロの結婚】【きらきら星変奏曲】などの曲が有名ですね。
亡くなる2ヵ月前には名曲である【クラリネット協奏曲】が生み出され、死の4時間前まで【レクイエム】の作曲を続けたそうです。
葬儀はモーツァルトの家のすぐ近くにある「聖シュテファン大聖堂」の小さな十字架礼拝堂で行われ、そこからモーツァルトの遺体が入った棺はウィーン郊外の「ザンクト・マルクス墓地」に運ばれました。
モーツァルトの遺体が入った棺はザンクト・マルクス墓地の中の第三等共同墓地、通称「ただの穴」とされているところに運ばれ、棺から出した遺体を袋に移し、無残に穴に放り込まれたそうです。この時、同じ穴には他の5人の遺体もあったといわれています。モーツァルトの生涯が描かれた、映画「アマデウス」では、穴に投げ込まれた後、伝染病防止の為に石灰をかけるシーンも出てきました。
また埋葬の際、妻ですら立ち会わなかったため、ザンクト・マルクス墓地での埋葬場所を特定することができなくなってしまっています。
・ベートーヴェン(1827年3月26日56歳没)
ドイツで生まれ、オーストリア・ウィーンで亡くなりました。【ピアノソナタ第14番月光】【交響曲第五番運命】は、誰もが一度は聴いたことがあると思います。
「諸君喝采したまえ、喜劇は終わった」がベートーヴェン最期の言葉だったそうです。
当時集会の自由が制限されていましが、ウィーンの「ヴェーリング墓地」で行われた葬儀には約2万人の市民が参列し、ベートーヴェンの家から教会に至る道を埋めたといわれています。
もともとヴェーリング墓地に埋葬されていましたが、1863年にベートーヴェンのお墓の改葬が行われて、遺骨はウィーン中央墓地に移されました。
ちなみにベートーヴェンのお墓は、メトロノームの形をしています。
・ショパン(1849年10月17日39歳没)
ポーランド・ジェラゾヴァヴォラで生まれましたが、成人してからはフランスで活動することが多かった作曲家です。【ノクターンop.9-2】は皆さんご存じですよね。
「ピアノの詩人」と呼ばれ、彼の人生はピアノだったといっても過言ではないでしょう。
しかし生涯を通して結核に悩まされていて、合併症として「結核性胸膜炎」を患い、死に至ったと言われています。
葬儀はパリの「マドレーヌ寺院」で行われ、ショパンの遺言によってモーツァルトのレクイエムが演奏されたそうです。
遺体はフランス・パリの「ペール・ラシェーズ墓地」に埋葬されています。
ここは、フランスの著名人たちも多く眠る場所です。
ショパンのお墓は白い墓石で造られていて、ショパンの横顔が刻まれています。ショパンらしく繊細で華やかで、常にお花がたくさんお供えされています。
また祖国への帰国を夢見ていたショパンは遺書の中で「心臓をポーランドに埋めて欲しい」と希望したため、心臓だけはポーランド・ワルシャワの「聖十字架教会」の石柱に納められています。
しかし、第二次世界大戦で、ナチスによって聖十字架教会の約3分の1をダイナマイトで破壊され、心臓が入った壷も奪われてしまいましたが、終戦後に教会は修復されてショパンの命日に心臓が戻されました。
心臓が納められている石柱には「あなたの宝となる場所にあなたの心もある」(マタイ伝第6章21)と刻まれています。
それぞれの作曲家の最期を知ることで、音楽の聴き方や感じ方が変わってくるかもしれませんね。
ヨーロッパの土葬文化〜キリスト教との関わり
なぜモーツァルトは「ただの穴」に投げられた葬られ方だったのでしょうか。
一説によるとモーツァルトの晩年の経済状態は厳しく埋葬するお金がなかったからとされてますが、モーツァルトが亡くなった当時は、遺体をそのまま土に埋葬する「土葬」が一般的な方法だったのです。
王や貴族、聖職者以外は、自分のお墓を持つという習慣は全くありませんでした。
今でも、ヨーロッパは火葬ではなく、基本的に土葬が主流です。
その理由として、キリスト教では「死後の復活」が信じられているためです。
新約聖書のヨハネの黙示録によると「この世の終わりにイエス・キリストが再臨して、すべての死者は復活してよみがえり、天国に行くか地獄に行くかの最後の審判を受ける」
とあります。(かなり要約してます)
火葬という「遺体を焼く」という行為は「死後復活できない」という考え方があるため、土葬が主流となっています。
しかし、キリスト教の宗派によっては葬送方法が変わってきます。伝統を重んじるカトリックでは土葬が主流であり、宗教革命を経て誕生したプロテスタントは比較的早くから火葬を許容してきました。
先に紹介した作曲家たちの出生地のひとつであるドイツでは、プロテスタントが比較的多い国であり、火葬率も約60%と高いのです。また火葬を選ぶ理由として「火葬後の遺骨の埋葬方法が選べる」「費用がかからない」ことが挙げられます。
また最近では樹木葬や海葬も選択できるようになったそうです。
一方、カトリックが多いことからオーストリアでは、火葬率が約30%、ポーランドに至っては約16%と低い水準になっています。しかしオーストリア・ウィーンではカトリックの脱会が多くなってきているので、今後オーストリアの火葬が増えるかもしれません。
モーツァルトから考察した散骨後の供養
現在、オーストリア・ウィーン中央墓地には「栄誉墓地」と呼ばれる区画があり、そこにはモーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、ブラームスといったクラシック音楽界の偉大な芸術家たちのお墓が並んでいます。
しかしモーツァルトに関しては、お墓ではなく「墓碑」なのです。
もともとザンクト・マルクス墓地に埋葬されていましたが、詳しい埋葬場所が謎に包まれてしまっています。そしてウィーン中央墓地が建設されたことで、ザンクト・マルクス墓地は墓地としての役割を終えてしまい、ウィーン市が彫刻家に依頼して、ウィーン中央墓地に墓碑が設置されました。
そのためウィーン中央墓地にはモーツァルトはいないとされています。
ザンクト・マルクス墓地のどこかで眠っていることでしょう。
しかし、墓碑を訪れる人々は、モーツァルトがあたかもここで眠っているかのように、お祈りやお花を供えたりします。それは実際に埋葬されていなくても、祈りの対象となっているのです。
もしかしたら、散骨でも同じことが言えるかもしれません。
散骨した大体の場所はわかりますが、正確な位置は特定できません。また、はっきりとした墓標もありません。
しかし「自然がお墓」「地球全体がお墓」とも感じることができます。
ウィーン中央墓地には「モーツァルトはいないけれど、そこにまるで眠っているような想いで祈る」ことと同じように、散骨後「故人がいる場所ははっきりわからないけど、身近にどこにでもにいるような想いで偲ぶ」こともできるのではないかと思います。