グリーフケアとは?~死別の悲しみを乗り越える
人は誰しもが生まれては死を迎えます。それは平等に存在しています。
そして、家族や親族、愛する人といった自分にとって大切な人と死別した時、無意識に悲壮感や喪失感というものが湧き起こるものではないでしょうか。
同時に、死別したという現実に対し、何とかして立ち直りたいという感情も湧き、不安定な状態になることもあります。そして、この二つの感情が揺れ動き、精神的・身体的に違和感や不愉快さといった反応が起こります。
これらのことを「グリーフ」と言い、このような状態になっている人に寄り添い助けることを「グリーフケア」と言います。
突然の交通事故、想定していなかった大震災、または自死などで大切な人を失ってしまった時、納得のいく看取りや葬儀ができないことからも気持ちの行き場がなくなったり、突然独りぼっちになってしまったような孤独感や絶望感を感じる人は多くいます。
人によっては自分の一部を失った感覚になるとも言われています。
しかし、いつまでも落ち込んではいられないと前向きな気持ちとは裏腹に、悲しみを乗り越えることも難しいでしょう。そのような人のためにも、グリーフケアは存在しています。
グリーフケアの実践
グリーフケアを簡単に説明してしまうと、「人の悲しみへの対応」ということでしょうか。
悲しみは、先に述べた人の死や死別以外にも
・流産
・失恋や失踪などの離別
・仕事や財産の喪失
・転勤や転校
・名誉やプライバシーなどの自尊心の喪失
などでも感じます。
しかしそうした中でも、大切な人を失った時の悲しみは比べものにならないかもしれません。そして、それを癒すためのグリーフケアとしての方法をいくつかご紹介します。
・音楽や歌を聴く
深い悲しみに暮れる曲や、思い出を見つめ直す曲など様々な音楽があります。
そして個人的な選曲になってしまいますが、大切な人との死別をテーマにした曲を集めてみました。あらゆる視点から表現されていて、どれも故人や残された人への愛が溢れていると思います。悲しみから前を向けずに苦しんでいる人に、ぜひ聴いていただきたいです。
ボーカルの大森元貴さんによって書かれた、深い愛と絶望の中の希望をテーマにした歌で、映画『ラーゲリより愛を込めて』の主題歌です。
この曲は、命の尊さや家族への深い愛情を表現しています。また生きるための強さと、人生への前向きな姿勢も表しています。
大切な人を亡くした人にとって、Soranjiは希望を持って前を向く力を与えてくれる曲です。故人を偲びながら、また人生の困難に直面した時に聴くことで、心が癒やされるでしょう。私も大好きな曲のひとつです。
東野圭吾のベストセラー小説を原作に、福山雅治さん主演の映画『沈黙のパレード』の主題歌です。愛する人を亡くした悲しみを抱えながらも、前を向く力を与えてくれる曲です。また柴咲コウさんの歌声は、亡くなった人への感謝と愛を込めているように感じます。
大切な人を失った悲しみに向き合い、成長する過程を表現しています。失った人への想いや日常の小さな奇跡も表現されています。
【米津玄師~地球儀】
ジブリの映画『君たちはどう生きるか』の主題歌として作曲されました。メロディーや歌詞からは、喪失感と共に、決意と自分の道を切り開く勇気も伝わってきます。
・自然に触れる
「透き通った美しい海」「青々しい緑豊かな森の中」「西に沈む深紅の夕日」などといった大自然に触れることによって、大切な人を失った気持ちが癒されたり、自分の視野が広がったりもします。そして「死とは自然に還ること」と思うかもしれません。また自分の存在について悟ったり、死ぬという観念がなくなる場合もあります。
私は先日、出張で大阪を訪れた際に「四天王寺」も訪れました。四天王寺がある天王寺区付近は、法然と後白河天皇が西方浄土の極楽往生を願う「日想観」を行った場所でもあります。そこで見た夕日は「あ、あれが極楽浄土か」と思うほど美しく、その瞬間死に対しての恐怖感はなくなり、また改めて人生を見つめるきっかけにもなりました。
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・グリーフケア士や周囲に話す
グリーフケア士とは、悲しみや喪失感を抱える人に対して、専門的な心のケアやサポート、支援を行う人です。大切な人を失った悲しみに寄り添い、それを癒すためのコミュニケーションを図ってくれます。
また専門的なグリーフケア士ではなくても、周囲の人に自分の気持ちを伝えてみましょう。そこでは、「我慢しない」「頑張らない」「泣くことを恥ずかしいことと思わない」といったことも大切です。
悲しみを表現することは悪いことでもありませんし、それは自分自身を労わることでもあります。自分の感情に蓋をしてしまう人もいるかと思いますが、感情を表に出すことで心の回復ができます。
葬儀や供養の大切さ
日本では過去に、多くの犠牲者を出した「第二次世界大戦」や、列島を襲った「東日本大震災」がありました。そこでは思ってもいなかった大切な人の死に直面した人が多かったことでしょう。
そして、その人を看取れなかったり、納得がいく葬儀ができなかったことで、グリーフ反応が出る場合があります。葬儀とは故人のためはもちろん、今を生きる残された人にとっても重要で意味のある儀式です。 葬儀は、残された人が大切な人を失った悲しみの心を癒し、気持ちの整理をして死を受け入れる大切な機会です。そして命の大切さや死というものへの理解を深める場、また家族や親族、友人などが集まって絆を深める場としての意味も持っています。このように葬儀を行うことによっても、悲しみを乗り越えることができます。
また、供養も大切です。供養とは故人の冥福を祈り、故人に対して敬いや感謝の気持ちを送ることです。また特定の故人だけではなく、その人の先祖も供養することでもあります。死を遡ることによって、私たちの生命の源を辿ったり、個々としての生き物ではなくひとつの生命として生きていることが実感できるかもしれません。それは大切な人を失った悲しみが癒え、自分を再発見し、これからの人生を前向きに生きていく糧となることでしょう。そしてグリーフケアにも繋がります。
そして大切な人を失うことはとても悲しいことですが、何よりも「自分を指針」として生きることが重要です。たとえ悲しみといった闇の中にいたとしても、自分自身の光、そして真意が拠り所となります。これは釈迦が最後に伝えたという「自灯明」(自らを拠り所にせよ)でもあります。
鬼滅の刃からみるグリーフケア
2019年からテレビ放送されている「鬼滅の刃」というアニメはご存じでしょうか。
今や社会現象にもなっていて大ヒットしています。今月12日からは第4期の柱稽古編もスタートしましたね。
鬼滅の刃は主人公である竈門炭治郎の家族が、鬼に殺される話から始まります。また次から次へと大切な人も鬼に殺されていきます。そして炭治郎はその復讐として鬼狩りをする鬼殺隊に入ります。
アニメの第7話で、炭治郎は鬼に恋人を殺された男性に対して「大丈夫ですか?」と声をかけますが、男性は「婚約者を失って大丈夫だと思うか?」と返しました。
そこで炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかないんです。どんなに打ちのめされようと」と言いました。炭治郎は男性が自分と同じように鬼によって大切な人を失い、苦労していることに気づいたのです。
これは一種のグリーフケアであるでしょう。
また炭治郎は、鬼の犠牲となった人たちを埋葬し、鬼に対しても供養をします。怨親平等ですね。
私たちの人生において、何かを失うことは常に起きていることです。そして実際に多くの大切なものを失った経験もあると思います。そして、大切な人を失う時が一番の試練かもしれません。
その際は、まず悲しみを受け入れましょう。悲しいと自覚することは、自分の気持ちと向き合うことであります。炭治郎のように強引に言い聞かせる必要もありませんが、そうすることで徐々に立ち直っていくことも理解してみましょう。また生きる意味を改めて考えることで、新たな自分を発見することができ、生きる希望が持てるかもしれません。
そして自分ひとりでつらい時には、周囲の人に頼ることで、温かい支えとなってくれることでしょう。