イスラム教徒の土葬をめぐる課題~東北に墓地がない現状と宮城県の計画
宮城県で進められていたイスラム教徒向けの土葬用埋葬地の計画が、知事選を目前にした9月18日、急遽撤回されました。決めたのは宮城県の村井義弘知事です。理由は「県内のすべての市長が一致して反対したから」でした。
この計画は2023年末から進められてきたもので、イスラム教徒を含む外国人労働者の宗教的な土葬の習慣に応えるためのものでした。イスラム教では火葬が認められていないため土葬の場を提供することが重要とされてきましたが、日本国内で土葬が可能な墓地はおよそ10か所しかなく、東北地方には一つもありません。そのため、多くのイスラム教徒が遺体を遠方の墓地まで運ぶか、母国に送還せざるを得ない状況が続いていました。
宮城県はこれまでインドネシアなどから外国人労働者を受け入れてきた経緯があり、その人たちが安心して暮らせる環境を整える取り組みの一つとして、この計画を進めてきました。村井知事は議会で「火葬を望まない人のための土葬用埋葬地を検討したい」と発言し、職員も県外の土葬用埋葬地を視察するなど動いていました。
しかし、この動きはすぐに反発を呼びました。
イスラム教徒向け土葬用埋葬地計画に懸念と反発~村井知事は必要性訴え
2023年12月に計画が報じられると、県庁には電話やメールで懸念の声が相次ぎました。「住民の意見を聞かないまま進めるのか」「農産物の評判が落ちるのでは」「外国人が増えるのが不安だ」といった声です。県に届いた連絡は2000件以上、その半数は県外からでした。
それでも村井知事は、「これはイスラム教徒からの要望に応えるものだ」と強調しました。「多文化共生を掲げながらニーズを無視するのは統治の失敗になる。批判されても前に進むべきだ」との姿勢を崩しませんでした。
2024年3月には、イスラム教徒を狙った差別的な投稿がSNSに出回り、村井知事は強く批判しました。そのうえで改めて計画の必要性を語り、「日本にはもともと土葬文化があり、キリスト教も土葬を前提にしてきた。皇室もかつては土葬されてきた」と説明しました。これは外国人労働者だけでなく、日本人でイスラム教に改宗した人たちにも関わる問題だと訴えました。
また、土葬が環境に悪影響を与えるのではという声についても、「野生動物は自然に土に還っていく。土葬が汚染につながるというのは大げさだ」と話し、正しく理解してほしいと話しました。
このように村井知事は反対の声を認めつつも、議論を続けながら土葬用埋葬地の必要性を繰り返し訴えていました。

村井知事が土葬用埋葬地を撤回した経緯と選挙への影響
流れが変わったのは2025年9月でした。12日の県議会で「計画はまだ研究段階」と答えた村井知事は、その後、直接市長たちに電話をして意見を確認しました。
9月13日から17日にかけてすべての市長に連絡した結果は、全員が「反対」。条例上、新しい墓地には市長の承認が必要であり、その見込みがない以上、前に進むことはできません。
村井知事は「状況は非常に厳しい」と判断し、18日の議会で「完全に撤回する」と発表しました。会見でも「かなり前から悩んでいた。議論を続けても住民の不安を増やすだけだと結論づけた」と語りました。
ただ、このタイミングから「選挙を意識した判断ではないか」という見方も出ました。村井知事は現在5期目で、10月に6期目を目指して立候補する予定です。計画は公約には含まれていませんでしたが、他の候補者が「移民増加につながる」と批判し、自民党内からも反対の声が強まっていました。
村井知事は「選挙のためにやめたのではない」と否定しましたが、野党側は「論争を抱えたまま選挙に挑めないと判断したのだろう」と指摘しました。
仙台のイスラム教徒の想い
突然の撤回に、イスラム教徒の人々からは落胆の声があがりました。仙台市イスラム文化センターの代表佐藤さんは「労働者としてだけでなく生活者として見てもらえたのは嬉しかった。だからこそ残念」と話しました。佐藤さんは40年近く活動を続けており、昔は留学生が中心だった県内のイスラム教徒も、今では自動車産業や建設業で働く人々が増え、地域で暮らす仲間が確実に増えてきたことを実感しています。
こうした中で、東北には土葬ができる埋葬地が一つもなく、遺体を関東や中部まで運ばざるを得ない状況が続いています。費用も手間も大きな負担となるため、佐藤さんたちは知事に手紙を書き、土葬用埋葬地の設置をお願いしてきました。
同センターで活動するパキスタン出身のムハンマドさんも「日本人には独特に映るかもしれないが、理解は広がってきている」と語ります。佐藤さんも「誤解や偏見をなくす努力を続けなければならない」と伝えていました。
今回の撤回は、外国人労働者の受け入れや多文化共生をどう進めていくのか、日本社会にとっての課題が改めて明らかになりました。計画そのものは消えましたが、土葬を望む人たちの思いが消えることはありません。行政と地域がどう歩み寄っていけるのか、これからも考え続けていく必要があります。






