世界遺産マチュピチュで撮影された散骨動画がSNSで拡散
2024年11月、南米ペルーにある世界遺産「マチュピチュ」での出来事が、世界中のSNSを通じて一気に拡散されました。きっかけとなったのは、TikTokのアカウント「IncaGo Expeditions」に投稿された一本の動画です。動画には、黒いシャツに青いパンツ、ベージュのスニーカーを履いた女性が、透明なビニール袋を手にしている姿が映っていました。
彼女は、マチュピチュの美しい段々畑の一角で、袋に入った白い粉をゆっくりと丁寧に地面へと撒いていました。中身は「人の遺灰」だったとみられています。
袋の中身を撒き終えると、ビニールをきちんと折りたたみ、その場で静かに一礼。隣にいた男性としっかり抱き合い、そっとその場を後にしました。
背景にはしっとりとしたメロディが流れ、画面には「マチュピチュでの愛いっぱいのお別れ」という言葉と一緒に、「#cenizas(灰)」や「#esparcircenizas(灰をまく)」といったハッシュタグが添えられていました。
この動画はTikTokに投稿された後、瞬く間に再生数が伸び、数時間のうちに大炎上。最終的には削除されることになりましたが、その衝撃的な映像はX(旧Twitter)やInstagramにも転載され、世界中の注目を集めました。
マチュピチュでの散骨はなぜ問題なのか〜文化遺産保護と法的な制限
世界遺産であるマチュピチュは、ただの観光地ではありません。
インカ帝国の栄光を今に伝える遺跡で、南米の中でも特に大きな歴史的価値があります。1983年にはユネスコの世界遺産に登録され、今も世界中の人々がその文化と歴史を大切に守り続けています。
この動画が広まった直後、ペルーの法律家委員会はすぐに声明を出しました。
「これは国家の文化遺産に対する明らかな攻撃であり、厳重に対処されるべき事案です」と、かなり強い口調で非難しました。
クスコ文化庁の法律顧問であるティカ・ルイサ・オブレゴン氏も、「マチュピチュのような考古学的遺跡は、遺灰の保管場所ではなく、個人の感情に基づいて使われるべき場所でもありません」と明言しました。
さらにオブレゴン氏は、今回の件が「他の人々に、マチュピチュでも散骨できるという誤った認識を与えかねない」と懸念しました。
マチュピチュはユネスコの世界遺産条約にもとづき、「現状を損なわず、次の世代に完全な形で引き継ぐこと」が求められています。この条約では、加盟国が自国の世界遺産を守り、管理することが義務づけられていて、ペルーもその一環として国内法でマチュピチュの保護を行っています。
具体的には、ペルーの文化財保護法によって、マチュピチュのような考古学的遺跡での物理的な損壊や、文化的価値を損なう行為は法律で厳しく禁じられています。
遺灰をまく行為は、直接的に建物や遺跡を壊すわけではありませんが、文化的な損害とみなされ、現地の文化庁も「法的に許されない行為だ」という立場を取っています。

マチュピチュ散骨問題をめぐる社会の議論
ソーシャルメディアでは、この行為に対するコメントが殺到しました。
「自分の家の庭ではなく、世界中の人々にとっての宝物でこんなことをするなんて考えられない」
「マチュピチュは聖地。尊重すべきだ」
「文化遺産は全人類の財産。個人の感情よりも保護が優先されるべき」
このような批判的な声が大多数を占める一方で、少数ですが「愛する人の願いを叶えてあげたい気持ちは理解できる」といった意見もありました。
また、ペルー国内でも大きな議論が巻き起こりました。
遺族の気持ちは決して否定できないものの、「どこまでが故人の尊厳を守る行為で、どこからが文化への冒とくになるのか」という線引きは、とても難しい問題だという声が多く上がっています。
オブレゴン氏は、「もし個人の行動ではなく、旅行会社やガイドが関与していたのであれば、罰則はさらに重くなる」と強調しました。さらに、「今回の事案が刑事事件としてクスコ文化庁に正式に告発される見込みである」とも言及しました。
マチュピチュ散骨と文化遺産保護の境界線
マチュピチュで起きた散骨の問題は、「違法かどうか」だけでは語れない、複雑な背景があります。人生の最期をどう迎え、その想いをどう形にするかは、多くの人が悩みながら選んでいることです。
しかし、個人の願いと文化遺産の保護が重なると、どうしても衝突が生まれてしまいます。どちらかを守ろうとすればもう一方が損なわれるからこそ、簡単に割り切れるものではありません。「大切な人を思い出の地に還したい」という気持ちは、多くの人が共感できるものです。
一方で、文化遺産は個人のものではなく人類全体の大切な財産だからこそ、どれだけ純粋な想いでも方法を誤れば、それは敬意ではなく冒涜になってしまうのです。
今回の出来事は、SNSが当たり前になった今の時代だからこそ起きたことでもあります。たった一つの行動や投稿が瞬く間に世界中に広がること、その影響の大きさを改めて感じました。
この問題が私たちに問いかけているのは、「個人の最後の願い」と「文化や公共の価値」、その両方をどう守っていくのかということです。簡単な答えはありませんが、向き合わずにはいられない大切なテーマだと思います。
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