有名人の墓じまい

執筆者:Tomo

有名人の墓じまい

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墓じまいの現実~過去最多

近年「お墓の継承者がいない」「お墓の維持や管理の負担が大きい」など様々な理由から、お墓から遺骨を取り出した後、墓石を解体し、更地に戻す「墓じまい」を選択をする人が増えています。

厚生労働省による【令和4年度衛生行政報告例統計表】では、全国での墓じまい件数が約15万件とあり、これは1997年に統計を開始して以来、過去最多となっています。
また高知市では、墓じまいができないというケースまで発生しているのです。

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そのような中、都内では歴史的著名人の「墓じまい」が続いています。
多くの著名人が眠る都立霊園では、著名人のお墓が知らぬ間に更地の状態になっていたこともあったそうです。

島村抱月の墓じまい

以前「都立霊園の著名人の墓が消えた!?」と題する記事がネットに掲載されているのを見かけました。その著名人のひとりとして、日本の近代演劇の父で広く知られた「島村抱月」(1871~1918年)が挙げられます。

島村抱月とは、欧州留学で西洋演劇を学び、坪内逍遥と共に文芸協会を創立し、西洋の演劇や文学の紹介に尽力したことで有名です。

また抱月はシェイクスピア作品の翻訳や評論を行い、日本の近代演劇の発展に大きく貢献したり、女優の「松井須磨子」と劇団「芸術座」を結成し、新しい演劇スタイルを追求しました。そして彼の活動は、日本の演劇界に新風を吹き込み、現在もその影響は色濃く残っています。抱月は1918年にスペイン風邪で亡くなり、須磨子は翌年に自ら命を絶ってしまいました。

抱月の遺骨は東京都豊島区の「雑司ヶ谷霊園」に一部(分骨)埋葬されていて、墓石には芸術への抱月の考えが刻まれ、近年まで演劇関係者たちが訪れていたそうです。

そして須磨子の親族であり、一般社団法人【松井須磨子協会】の代表理事もしている堀川健仁さんが、雑司ヶ谷霊園を訪れた際に、抱月のお墓が更地になっていたのを目の当たりにしたのです。それまで本人は知らなかったそうです。

その後「更地になった経緯を知りたい」と、もう一つの分骨埋葬されているお墓がある、島根県浜田市の「浄光寺」に問い合わせたり、関係者を探したりしていたところ、抱月の親族と連絡が取れました。

親族は「長くお墓を守ってきたが、今後も管理を続けるのが難しい」とのことで、2022年に墓じまいをしたようです。墓じまいをすることは世間には知らせずに、身内間で進んでいたのです。

それを聞いた堀川さんは「誰にも知られず墓じまいになるのは、あまりにも寂しい思いだった。でも亡くなって100年も経てば、誰にでも起こりうること。今まで管理を続けてくれたことに感謝をしたい」と話していました。また浄光寺の前住職は「雑司ケ谷の墓は抱月の記念碑的な墓。あれだけの足跡を残した方の痕跡がなくなるのは寂しい。相談いただければ寺で引き取ったんですが…」と残念がったそうです。

モノクロのお墓

泉鏡花の墓じまい

明治後期から昭和初期にかけて活躍した、小説家であり劇作家の「泉鏡花」(1873~1939)のお墓も雑司ケ谷霊園から消えていたそうです。

泉鏡花といえば、「高野聖」「婦系図」「天守物語」などが有名ですね。彼は日本の伝統文化や風習を取り入れた独自の物語を作り上げ、後の多くの作家に影響を与えました。
その独特な世界観は、今でも人々に愛されています。

鏡花は1939年に亡くなり、遺骨は雑司ケ谷霊園に埋葬されました。
しかし管理してきた親族が「今後も継承し続けるのは難しい」と判断して、墓じまいを行いました。

鏡花のお墓は、姪で作家の「泉名月」が管理していましたが、2008年に亡くなり、その後は名月のいとこがお墓を継承しました。
しかしいとこは「鏡花の名誉を守るためにも責任を感じて10年以上管理してきた。私自身が元気なうちはいいが、死んだ後も代々継承していくのは難しいと思った」と話していたそうです。

また、都立霊園ではお墓の継承者がいなければ「無縁墓」として遺骨は合葬されるのです。そのため「それは避けたいと思った。私の代でなんとかしようと思った」とも語っていたようです。

そして鏡花のお墓は、維持や管理をお寺が全て担う「永代供養」として改葬することになりました。
通常永代供養は、一定期間が過ぎると合葬されますが、ファンの多い文豪であることから、将来的にも合葬せずお墓はそのまま残されるとのことです。

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ポツネンとハスのはな

墓じまいから散骨へ~新しい供養の仕方

島村抱月や泉鏡花が眠っていた雑司ケ谷霊園のある豊島区では、観光用に著名人のお墓を載せたマップを作って案内所で配布していましたが、墓石撤去を踏まえた修正版を7月中に区のホームページで公表する予定だそうです。

さらに外国人向けに作られた「雑司ケ谷霊園に眠る著名人のリスト」では、墓石が撤去された島村抱月や泉鏡花の欄に取消し線が引かれています。

また文化観光課の担当者は「墓じまいが今後も出ることを想定し、修正しやすいように紙でなく、電子データで更新することにした。そして案内所にはマップにアクセスできるQRコードを掲示し、利用者にスマートフォンなどで読み取ってもらう」と言っています。

著名人の墓じまいは雑司ケ谷霊園だけではありません。
明治維新の功労者たちが多く眠る青山霊園(港区)では、江戸末期の幕臣「大鳥圭介」のお墓が撤去されたり、谷中霊園(台東区)では、詩人「上田敏」のお墓もなくなっていたのです。

そして歴史的な著名人に限らず、お墓の維持や管理は、今や社会的な問題であります。

墓じまいが増加する要因として、核家族化や少子高齢化の加速です。核家族化、少子高齢化が進んだことで、お墓の継承者がいなかったり、子供にお墓の維持や管理を負担させたくないなどの理由で、自らの代で墓じまいを選択する人が増えています。

そのようなことから、将来を見据えた墓じまいを検討し、先祖への敬意を保ちながら新しい供養のかたちを選ぶ時代が来ているのかもしれません。

例えば、合葬や共同墓地の他に、自然に還る「散骨」もお墓の継承者不要であり、子供に維持や管理の負担を残しません。海や山に遺骨を撒くことで、自然との一体感を感じられます。

さらに弊社では「海外リゾート地」で散骨を行っています。
「リゾート」の本来の意味とは、「再び」 "re" と、「出かける」フランス語で"sortir" の略である "sort" が合わさったものであり、「何度も通う場所」のことです。

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「今は亡き大切なあの人に何度でも会いに行きたくなるお墓」を作るのもひとつの手段です。供養としての一人旅、家族旅行としても楽しめることができます。

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お墓参りに行くたびに、親族から嫌味を言われたり、お寺との関係がどんどん悪化したり、宗教上の理由からお墓参りに行くことができない人も少なくありません。
しかし、散骨ではそのような心配や悩みもありません。

また墓じまいをしたことで、「10年、20年先はどうしたら良いのか気がかりであったお墓に対する不安や心配が無くなり、心落ち着いて過ごせるようになった」「墓じまいをして結果的に自分自身の心の整理にも繋がり、今ではとてもすっきりした気持ちになっった」など、墓じまいを行って良かったと思っている人たちも多くいます。

時代に伴い、伝統的な慣習も大きく変化しています。
そして墓じまいをすることによって、供養のあり方を見つめ直すきっかけにもなるのではないでしょうか。

まとめまとめ

1.都立霊園に眠る歴史的著名人の墓じまいが増えている

2.島村抱月のお墓の一部は雑司ヶ谷霊園にあり2022年に墓じまいをした

3.雑司ヶ谷霊園にあった泉鏡花のお墓は2023年に撤去され改葬された

4.墓じまいをすることによって供養のあり方を見つめ直すきっかけにもなる

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