電撃ネットワーク南部虎弾さんの感動の最期~「ザ・ノンフィクション」で見た葬儀と散骨
皆さん、先日フジテレビで放送された「ザ・ノンフィクション」という番組はご覧になったでしょうか?
今年1月に脳卒中により72歳で急逝した「電撃ネットワーク」のリーダーであった「南部虎弾さん」の近年の様子や、妻の由紀さんとの物語が放送され話題になりました。
電撃ネットワークとは、1990年に南部さんによって結成された有名な日本のパフォーマンスグループです。体を張ったり危険を顧みない芸が特徴ですが、あまりにも過激すぎるため、次第にテレビに出れなくなってしまったのです。しかし欧米諸国では「TOKYO SHOCK BOYS」の名で知られていて、とても人気を得ています。
そんな電撃ネットワークの南部虎弾さんは、60歳で重度の糖尿病を患ってしまったのです。そして人工透析を行ったら、過激なネタはもちろん、もう舞台に上がることはできないかもしれないことから、妻の由紀さんの腎臓を移植しました。
しかし腎移植から5年経った今年の1月、南部さんは地方公演に行く前夜に脳卒中で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
そしてザ・ノンフィクションの中では、南部さんの葬儀、また沖縄の海に散骨された時の様子も放送されていました。沖縄の海での散骨は、南部さんの生前からの希望だったそうです。
沖縄での散骨〜南部虎弾さんの遺志
当初南部さんの遺骨は、関東付近で納骨される予定でした。しかし南部さんが生前、妻の由紀さんに「沖縄で散骨してほしい」と話していたことがわかり、四十九日のタイミングで沖縄の海で散骨されることになりました。船をチャーターして、関係者20~30人が集まったそうです。
番組では、実際に電撃ネットワークのメンバーたちが、粉骨された遺骨(遺灰)やお酒を、沖縄の海に撒いていた様子が放送されていました。
散骨する前にスタッフ(?)の人が、遺灰の入った袋の封を開け「ロケットをお持ちの方は今のうちに中に入れてください」と言っている場面がありました。
ロケット!?最期まで何か凄い芸を仕込んでいるのか?と思いましたが、遺灰を入れるロケットペンダントのことでした。
散骨では遺灰は残りませんし、撒いた遺灰も取り戻すこともできません。そのため人によっては、散骨したことを後悔する場合があります。そこで遺灰を入れたペンダントを身に着けたりして、遺灰の一部を手元に残す「手元供養」という方法で、故人を身近で供養することができるのです。
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日本で散骨する場所として、リゾート地でもある沖縄の海は人気があります。海がとてもきれいですよね。
また海外でのリゾート地として、比較的日本から近いハワイやセブ島なども人気の散骨場所となっています。お墓参りとして、故人を偲びながら、故人が眠っているリゾート地を旅をすることもできますね。
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ちなみに弊社は海外で散骨を行っていますが、今月末にはセブ島での散骨を実施予定です。今回は、憧れのリゾート地でエンディングを迎えたいという故人様の遺志での散骨です。
南部さんのように、生前に自分の最期を決めておくことは大切なことです。またそれを周囲に話したり書き残したりすることで、自分の理想の方法や場所で永眠することができるでしょう。そしてそれは終活として、今から始めてみるのをおすすめします。遺言書やエンディングノートを作成し、自分の最期はどうしたいかを記しておくのも良いでしょう。
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また弊社では、散骨実施に限り、死後に自分の遺志を確実に実行できる「死後事務委任契約」をご本人様と直接結ばせていただくことが可能となっています。
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南部虎弾さんの葬儀
ザ・ノンフィクションでは、南部虎弾さんの葬儀の様子も放送されていました。葬儀には多くの有名人や芸能人をはじめ、約150人参列者が集まったそうです。
しかし、私たちが通常葬儀で身に着けるような黒い喪服の人は誰も居ませんでした。それぞれが普段着、個性的でユーモラスであったり華やかな服装で参列していたのです。それは喪主を務めた妻の由紀さんの意向で、一般的とされている黒の喪服を禁止したためです。
そもそも、なぜ私たちは黒の喪服を着ることが当たり前のようになっているのでしょうか。
喪服が黒になったきっかけは、明治時代とされています。明治11年に、当時暗殺された明治新政府で活躍した大久保利通の葬儀が行われました。その葬儀は欧米諸国からとても注目され、それを考慮した政府が「参列者は喪服を黒で統一するように」と告示したそうです。また明治30年、皇室の葬儀に参列した欧米諸国の来賓の人たちが、ヨーロッパ王室式の黒い喪服を着ていたそうです。それを見た日本政府が、日本人の参列者にも黒い喪服を着させたと言われています。これらの事がきっかけとなり、大正4年の皇室令で、宮中参内の喪服は、帯締め・帯揚げ・足袋は白、それ以外は黒とすることが正式に定められたのです。
そして庶民に黒の喪服が広がったきっかけとなったのは第二次世界大戦でした。第二次世界大戦による戦死者が多かったため、お店で喪服を借りる人も急増しました。
しかし、借りる頻度が増えたことで白い喪服は汚れが目立ち、すぐに使い物にならなくなってしまいました。そこでお店は、汚れが目立たず手入れのしやすい黒の喪服を揃えるようになりました。そうして黒い喪服が庶民にも広まっていったそうです。
また戦前では、喪服を着用するのは遺族だけで良いとも考えられていました。しかし戦後、冠婚葬祭のマナーを身に付けようとする意識が人々に浸透し、遺族だけでなく参列者もマナーとして黒の喪服を着るという風習が広まっていったとされています。
このように、一般的なマナーとして黒の喪服を着るというだけで、絶対的には決められていません。現代では葬儀やお墓のかたち、葬法の自由化も進んでいることから、喪服の在り方も変化しても良いのではないかと思います。
そして本来喪服とは、その服を着ることで故人への弔いの気持ちを表したり、お悔みの気持ちを示すためのものであります。
今回の南部さんの葬儀では、妻の由紀さんの意向で喪服を禁止していましたが、それぞれが南部さんを偲んだ服装だったと思います。時代の変化と共に、喪服の自由化も取り入れていっても良いかもしれませんね。
散骨セレモニー~南部さんの葬儀に学ぶ故人の見送り方
南部さんの出棺をする際、電撃ネットワークのテーマ曲に合わせて、メンバーたちが掛け声をかけながら棺を担ぎ、花束を棺の上に手向けた後、クラッカーを鳴らして明るく華やかに天国へ送り出される様子も放送されました。最後まで電撃ネットワークらしいお見送り方でした。それは、葬儀は慎ましく執り行うものという、世間一般的な常識を覆すものでもあったかもしれません。
弊社は海外散骨代行業者として、海外リゾート地での散骨を行なっています。そして、散骨する際に故人を自然へと見送るセレモニーも行いますが、その内容は安全であれば基本的にどのようなかたちでも自由です。
散骨時に献花をしたりお酒を一緒に撒いたり、音楽を流すことが多いのですが、例えば南部さんの葬儀のように、クラッカーを鳴らしたいといったご要望にもお応えしております。散骨セレモニーの内容に関して、お打ち合わせをする際に詳しくご要望をお聞かせください。
故人を偲ぶ気持ちを、葬儀の際の服装といった目に見えるかたちで表現したり、故人を想うオリジナルの葬儀にすることで、遺族にとって故人を失ったという悲しい気持ちが癒やされるのかもしれません。また一般的とされている葬儀の際のマナーや配慮も大切ですが、何よりも心から故人の冥福を祈る気持ちが大切です。
南部さんのように自身のエンディングについて生前に考え、周りに伝えることで、遺族にとっては負担が軽減し、そして自分にとっては本望になり得ることでしょう。